釣りとその記憶と

うじのぐっさん

2014年05月01日 00:00

祖父は釣りが大好きだった。休日ともなれば座敷にアユ竿を広げては、ためつすがめつ。

しわの刻まれた手で丁寧に道具を棚に小分けにして、楽しそうに仕掛けづくりをしていたのを記憶してる。


うってかわって自分と釣りといえば子供のころ近くの川でハイジャコを釣っていたくらい。

ハイジャコはアホなので、田んぼの土を餌に、いくらでも釣れた。

ていうか、ハイジャコはもんどり(知ってる?)という仕掛けでやると、いくらでもとれる。

だから、釣りするなんてちょっと高度だった。




釣れた魚は、声が良くなるように、すりつぶしてトリの餌にしたっけ。

そもそも食えない魚を釣る意味がわからんかった

こうして祖父からプレゼントされた釣りのボックスの中身は使われることなく、砂つぶみたいな鉛を廊下に転がして遊んでいた。



いつか連れて行ってもらったハゼ釣りも、祖父がもともとやっていたわけではなく、これなら子どもでもできると始めたことを母に聞いた。

今思えば、きっと、祖父は私に釣りの喜びを伝えたかったんだろう。



そんな祖父の記憶と、釣り。

記憶のかなたにあった釣りがまたもう一度自分の前にやってきたのは一年前のこと。




こんな自分にも子どもが生まれた。

どうせ子どもと遊ぶなら、お父さんもいっしょに楽しめる方がいいハズ。

そんなわがままな考えの行き先が、子どもと釣りをすることだった。



手軽だと思って始めたアジのサビキ釣り。最初は豆アジから。

偶然座った釣座の、隣の地元のおじいさんがめちゃくちゃうまい。どんどん釣れる。



数メートル横のあの人は釣れるのに、なぜ釣れない?

もんもんとした気持ちと、試行錯誤が始まる。




ともあれ、アジは手軽で、とってもおいしい。

やっぱり刺身にできる大きいアジが釣りたい!食べられるって素晴らしい。






いつの間にか、尺アジを求めて子どもと夜中に港に通ってた。

(注:見ての通り、いまだ、尺は釣れてません!!)




そして…カヤックとの出会い…。


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